トマーシュロシツキーは、チェコ代表で105試合に出場し、ドルトムントやアーセナルで活躍したチェコを代表する攻撃的ミッドフィールダーです。「リトル・モーツァルト」の愛称で知られ、素早いパス交換、前方へボールを運ぶ力、豊富な運動量を兼ね備えていました。2017年に現役を引退し、2026年10月現在は古巣ACスパルタ・プラハのスポーツディレクターを務めています。この記事では、現在の仕事、クラブ経歴、チェコ代表での実績、アーセナル時代、背番号、プレースタイル、負傷との関係まで順番に整理します。
トマーシュロシツキーとは?現在と基本情報
最初に結論をまとめると、ロシツキーはスパルタ・プラハで育ち、ドルトムントでブンデスリーガを制し、アーセナルで10年間プレーした元チェコ代表MFです。2026年10月4日時点で46歳となり、現在は選手ではなくスパルタ・プラハのスポーツ部門を率いる立場にあります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | トマーシュ・ロシツキー |
| 英語表記 | Tomáš Rosický |
| 生年月日 | 1980年10月4日 |
| 出身 | チェコ・プラハ |
| 主なポジション | 攻撃的MF、中央MF、サイドMF |
| 主な所属クラブ | スパルタ・プラハ、ボルシア・ドルトムント、アーセナル |
| チェコ代表 | 105試合23得点 |
| アーセナル公式記録 | 246試合28得点 |
| 代表的な背番号 | 10番、アーセナルでは7番 |
| 愛称 | リトル・モーツァルト |
| 現役引退 | 2017年12月 |
| 2026年10月現在 | ACスパルタ・プラハのスポーツディレクター |
どんな選手だったのかを一言でいうと
ロシツキーは、ボールを長く保持してゲームを止めるタイプの司令塔ではなく、少ないタッチで次々にボールを動かし、攻撃の速度を上げるタイプのプレーメーカーでした。アーセナルを率いたアーセン・ベンゲルも、ロシツキーがボールを持つことでゲームが速く、鋭く、流動的になる点を高く評価しています。
技巧派でありながら運動量も豊富で、ボールを持っていないときには前線から相手を追い、ボールを奪うと素早く攻撃へ切り替えました。現在のサッカーでいえば、単純な「昔ながらの10番」というより、攻撃的MFとインサイドハーフを組み合わせたような特徴を持っていた選手と考えると分かりやすいでしょう。
なぜ「リトル・モーツァルト」と呼ばれたのか
ロシツキーを象徴する愛称が「Little Mozart」、日本語では「リトル・モーツァルト」「小さなモーツァルト」です。ドルトムント時代から使われた呼称で、試合のテンポを操りながらパスを組み立てるプレーが、音楽を指揮するように見えたことを連想させるニックネームとして定着しました。
ただし、ロシツキーの特徴は華麗なテクニックだけではありません。相手の守備が整う前に縦方向へボールを動かす判断の速さがあり、味方が前を向ける位置へパスを届けます。この「速く、シンプルに、前へ進める」という部分こそ、プレー映像を見る際に注目したいポイントです。
まず覚えておきたい5つのポイント
初めてロシツキーについて調べる場合は、次の5点を押さえておけば人物像を理解しやすくなります。
- チェコ代表で105試合23得点を記録した元代表主将
- ドルトムントで2001-02シーズンのブンデスリーガ優勝を経験
- 2006年から2016年まで10年間アーセナルに所属
- 素早いパスと運動量を武器にした「リトル・モーツァルト」
- 引退後はスパルタ・プラハのスポーツディレクターとしてクラブ運営に携わっている
特に日本ではアーセナル時代の印象が強い選手ですが、キャリア全体を見ると、スパルタで育ち、ドイツで評価を高め、チェコ代表の中心選手となった後にプレミアリーグへ進んだ選手です。
スパルタからドルトムント、アーセナルまでのクラブ経歴
ロシツキーのキャリアは、故郷プラハの名門スパルタ・プラハを軸に考えると理解しやすくなります。少年時代にスパルタへ入り、欧州の強豪クラブへ羽ばたき、最後は再びスパルタへ戻って現役を終えました。現在のスポーツディレクターという仕事まで、同クラブとの関係は続いています。
| 時期 | 所属・出来事 |
|---|---|
| 1988年 | スパルタ・プラハの育成組織へ加入 |
| 1998年 | 18歳でスパルタのトップチームへ |
| 2001年 | ボルシア・ドルトムントへ移籍 |
| 2001-02 | ブンデスリーガ優勝 |
| 2006年 | アーセナルへ移籍 |
| 2013-14 | アーセナルでFAカップ優勝 |
| 2014-15 | FAカップ連覇 |
| 2016年 | スパルタ・プラハへ復帰 |
| 2017年12月 | 現役引退 |
スパルタ・プラハで18歳からトップチームへ
ロシツキーは幼少期からサッカーを始め、1988年にスパルタ・プラハの育成組織へ加入しました。クラブの各年代を経験した後、18歳でトップチームに入り、若くしてチェコ国内で存在感を高めていきます。
最初のスパルタ時代には、1998-99、1999-2000、2000-01シーズンとリーグ優勝を経験しました。現在のスパルタ公式サイトでも、ロシツキーはクラブを代表するアカデミー出身選手として紹介されています。
後年、欧州のビッグクラブで長期間プレーしたにもかかわらず、キャリアの最後にスパルタへ戻り、引退後もクラブ経営に携わったことからも、スパルタがロシツキーのキャリアにおける原点であることが分かります。
ドルトムントでブンデスリーガ王者になる
2001年、ロシツキーはドイツのボルシア・ドルトムントへ移籍しました。ここで欧州トップレベルのプレーメーカーとして評価を確立し、「リトル・モーツァルト」の名が広く知られるようになります。
大きな成果が2001-02シーズンです。ドルトムントはブンデスリーガを制覇し、ロシツキーも攻撃の組み立てを担う重要な選手として優勝に貢献しました。同シーズンにはUEFAカップでも決勝へ進出しています。
ドルトムントには約5年間在籍しました。この時期に国内リーグだけでなく欧州カップ戦やチェコ代表でも経験を積み、2006年にプレミアリーグのアーセナルへ進むことになります。
アーセナルでは10年間プレーした
ロシツキーは2006年にドルトムントからアーセナルへ加入しました。在籍期間は2016年までの10年間で、アーセナル公式記録では公式戦246試合28得点です。
加入後はセスク・ファブレガス、アレクサンドル・フレブらとともに中盤を構成し、その後も世代が変わる中でチームに残りました。アーロン・ラムジー、サンティ・カソルラ、メスト・エジルらが加わった時代にもプレーしており、ベンゲル政権後半を長く知る選手の一人です。
タイトルでは2013-14、2014-15シーズンのFAカップを連覇しています。特に2014年のFAカップ優勝は、アーセナルにとって長く続いた主要タイトル未獲得期間を終わらせるものでもあり、ロシツキーにとって重要なタイトルになりました。
アーセナルの背番号7として記憶されている
ロシツキーのアーセナル時代を象徴する背番号は7番です。アーセナルの7番はデイビッド・ロキャッスルやロベール・ピレスらも着用した番号で、後にはブカヨ・サカが受け継いでいます。
一方、ドルトムントではプレーメーカーを象徴する10番を背負い、チェコ代表でも10番でプレーしました。2016年にスパルタへ復帰した際にも10番を着用しています。このため、ロシツキー本人を象徴する数字としては10番、アーセナルファンにとっては7番という見方ができます。
最後はスパルタへ戻って引退
アーセナルを離れたロシツキーは2016年夏、約15年ぶりにスパルタ・プラハへ復帰しました。しかし、この時期もコンディションとの戦いが続き、十分な出場機会を確保することは簡単ではありませんでした。
2017年12月20日にプロサッカー選手としての引退を発表しました。当時37歳でした。スパルタは引退発表の中で、本人がプロサッカーに必要な負荷へ身体を十分に準備することが難しくなったことを決断の理由として伝えています。
欧州の別クラブでキャリアを終えるのではなく、育成時代を過ごしたスパルタへ戻って現役生活を締めくくった点も、ロシツキーの経歴を理解するうえで重要です。
チェコ代表では105試合23得点、黄金世代の攻撃を支えた
クラブだけでなく、チェコ代表での実績もロシツキーの評価を考えるうえで欠かせません。代表通算105試合23得点を記録し、後にはキャプテンも務めました。EURO2004のベスト4、2006年ワールドカップなど、チェコ代表の主要大会で中心選手としてプレーしています。
20歳前後からチェコ代表の主力へ
ロシツキーはEURO2000開幕前にチェコ代表デビューを果たし、若くして欧州選手権のメンバーに入りました。その後はパベル・ネドベド、カレル・ポボルスキー、ヤン・コレル、ミラン・バロシュ、ペトル・チェフらとともに、当時の強力なチェコ代表を形成します。
ロシツキーの役割は、主に中盤から攻撃へボールを届けることでした。前線には大型ストライカーのコレルやスピードのあるバロシュがいたため、ロシツキーが中央でテンポを作り、前線の選手を生かす形はチェコ代表の重要な攻撃パターンになっていました。
EURO2004ではベスト4へ進出
チェコ代表が国際舞台で特に高い評価を受けた大会の一つがEURO2004です。グループステージではオランダを相手に0-2から3-2へ逆転するなど攻撃的なサッカーを見せ、準々決勝ではデンマークを3-0で下しました。
ロシツキーも中盤の中心として出場し、チェコは準決勝へ進出します。準決勝では後に大会を制するギリシャに延長戦で0-1と敗れましたが、同大会のチェコ代表はロシツキーのキャリアを知るうえで重要なチームです。
2006年ワールドカップのアメリカ戦で2得点
ロシツキーの代表キャリアを象徴する試合として外せないのが、2006年ワールドカップのアメリカ戦です。チェコは3-0で勝利し、ロシツキーが2得点を記録しました。
特に前半の得点はペナルティーエリア外から放った強烈なミドルシュートでした。後半にも相手守備の背後へ抜け出して得点し、ゲームメーカーだけでなく自らゴールを奪える能力を世界大会で示しています。
ロシツキーのプレー映像を初めて見る人にとって、このアメリカ戦は分かりやすい試合です。ミドルシュート、前方への飛び出し、ボールを受けてからの判断速度という特徴を確認できます。
代表最後の大会はEURO2016
ロシツキーはEURO2012にも出場し、さらに35歳となったEURO2016でもチェコ代表メンバーに入りました。2016年大会ではキャプテンとしてスペイン戦、クロアチア戦に出場しています。
クロアチア戦ではアウトサイドを使ったクロスから得点につながるプレーを見せましたが、試合終盤に太ももを負傷し、その後の大会には出場できませんでした。最終的なチェコ代表成績は105試合23得点です。
代表で100試合を超えたことだけでなく、2000年代前半から2010年代半ばまで長期間にわたって代表を支えた点が、チェコサッカー史におけるロシツキーの大きな実績です。
プレースタイルは何がすごかった?リトル・モーツァルトの特徴

ロシツキーの良さは、ゴール数やアシスト数だけでは完全には表せません。ボールを受けてから次のプレーへ移るまでが速く、味方同士の距離を縮めながら攻撃全体を前進させる能力に優れていました。派手なドリブルだけを見るより、ボールを持つ前後の動きを見ると特徴がよく分かります。
ワンタッチと少ないタッチで攻撃を速める
最も分かりやすい特徴が、ボールを必要以上に持たないことです。周囲を確認した状態でパスを受け、ワンタッチやツータッチで次の選手へつなぐことで、相手守備が準備する時間を与えませんでした。
単純な横パスを繰り返すのではなく、前方の選手が動けば縦方向へのパスを選択します。自分がパスを出した後にも止まらず、新しいスペースへ移動して再びボールを受けようとするため、攻撃に連続性が生まれます。
ベンゲルがロシツキーについて、ゲームをより速く、鋭く、流動的にすると評価した理由も、このプレーを見ると理解しやすいでしょう。
典型的な司令塔より運動量が多かった
「モーツァルト」という愛称から、中央でボールを待つ技巧派を想像するかもしれません。しかし実際には、ロシツキーは非常によく動く選手でした。
ボールを失えば相手選手を追い、奪い返した瞬間にはすぐ攻撃へ参加します。左サイドや中央など複数の位置でプレーできたのも、ボールを受ける場所を固定しなかったためです。
現代的な表現を使えば、トップ下だけでなくインサイドハーフにも適性があるタイプでした。技術と運動量を両立していたことが、ベンゲルのパスを重視するアーセナルで長期間起用された理由の一つと考えられます。
ミドルシュートと意外性のある得点も武器
ロシツキーは大量得点を狙う選手ではありませんでしたが、印象的なゴールを何度も決めています。代表では2006年ワールドカップのアメリカ戦で強烈なミドルシュートを決め、アーセナルでもトッテナム戦など重要な試合でゴールを残しました。
シュートを大きく振りかぶらずに打てることや、相手守備の背後へ飛び出すタイミングも特徴でした。パスを警戒している相手に対して自らシュートを選択できるため、単なるパサーではありません。
ロシツキーのゴール集を見る場合は得点そのものだけでなく、シュート前にどこから走り込んできたのかを見るとプレースタイルをより理解できます。
一般的な「10番」とロシツキーの違い
伝統的な10番には、相手守備と中盤の間でボールを受け、ドリブルやラストパスで決定機を作る役割が期待されます。ロシツキーにもその能力はありましたが、より動的だった点が特徴です。
| 比較項目 | 典型的な司令塔 | ロシツキー |
|---|---|---|
| ボール保持 | ボールを持って機会を探す | 少ないタッチで素早く動かす |
| 主な役割 | ラストパス | 攻撃全体のテンポアップ |
| 動き | 中央で受けることが多い | 中央とサイドを広く移動 |
| 守備 | 攻撃を優先するタイプも多い | 前線から積極的に動く |
| 得点方法 | 技巧的なフィニッシュ | ミドルや前方への飛び出しも使う |
もちろん選手を単純に分類することはできませんが、ロシツキーを見るときは「華麗な10番」だけでなく「周囲を動かして試合速度を上げるプレーメーカー」と捉えると特徴が分かりやすくなります。
アーセナルで記憶に残る試合と負傷との関係
アーセナル時代のロシツキーを調べると、高い評価と同時に必ず負傷の話が出てきます。能力への評価が低かったから出場数が伸びなかったのではなく、長期離脱を含むコンディション問題がキャリアへ大きな影響を与えました。その一方、復帰するたびに印象的な試合を残しています。
トッテナム戦で強さを発揮した
ロシツキーはアーセナルとトッテナムによるノースロンドンダービーで複数の印象的なプレーを残しています。代表例が2012年2月のリーグ戦です。アーセナルは一時0-2とリードされながら5-2で逆転し、ロシツキーも得点しました。
2014年1月のFAカップでもトッテナムからボールを奪って長い距離を運び、GKとの1対1から得点。さらに同年3月のリーグ戦ではホワイト・ハート・レーンで試合開始直後に強烈なシュートを決め、アーセナルが1-0で勝利しています。
ダービーという強度の高い試合で、技術だけでなくボール奪取、スプリント、シュートまで見せているため、ロシツキーの特徴を確認するには適した試合です。
2008年から長期間試合を離れた
ロシツキーのアーセナル時代を語るうえで大きかったのが長期離脱です。2008年1月のFAカップ、ニューカッスル戦を最後に長期間公式戦から離れ、その後の復帰まで約18か月を要しました。
アーセナルでの10年間には、このほかにも複数の負傷による離脱がありました。そのため、在籍年数の長さに比べて出場数は246試合にとどまっています。
一方で、長期間離脱した後もトップレベルへ戻り、重要な試合で起用され続けました。ペトル・チェフもロシツキーについて、負傷から戻るたびに高いレベルのプレーを見せた点を評価しています。
アーセナル公式の記録は246試合28得点
ロシツキーのアーセナルでの出場数について調べると、資料によって数字が異なる場合があります。アーセナル公式が掲載している公式戦通算記録では246試合28得点です。
一方、スパルタ・プラハの回顧記事などには異なる数字が掲載されている例があります。集計対象や扱いの違いが考えられるため、アーセナルでの公式戦成績を確認する際には、クラブ自身が示している246試合28得点を基準にすると混乱しにくいでしょう。
選手の通算記録では、リーグ戦のみなのか、国内カップや欧州カップを含む公式戦なのかで数字が変わります。ロシツキーに限らず、異なるサイトの数字を比較するときには集計条件を確認する必要があります。
引退後の現在はスパルタ・プラハのスポーツディレクター
ロシツキーは引退後、そのままサッカー界を離れたわけではありません。スパルタ・プラハの経営・強化部門に入り、現在はスポーツディレクターを務めています。選手補強や監督選定、中長期的なチーム作りに携わっており、選手時代とは別の形で古巣を支えています。
2018年にスポーツディレクターへ
現役引退後、ロシツキーはスパルタのスポーツ部門に加わり、2018年末にスポーツディレクターへ就任しました。クラブが当時説明した役割には、中長期的なスポーツ戦略や移籍市場におけるチーム編成が含まれます。
監督が毎日の練習や試合を直接指揮するのに対して、スポーツディレクターはより長い視点でチームを作る仕事です。選手の獲得と放出、監督人事、スカウト部門との連携、トップチームの方向性などに関わります。
そのため、現在のロシツキーを「元アーセナル選手」とだけ紹介するのは十分ではありません。現在はクラブの競技部門を運営する経営側の人物でもあります。
ブライアン・プリスケ招聘後に国内タイトルを獲得
スポーツディレクターとしての重要な判断の一つが、2022年にブライアン・プリスケを監督へ迎えたことです。プリスケ体制のスパルタは2022-23シーズンにチェコリーグを制し、クラブにとって久しぶりのリーグタイトルを獲得しました。
翌2023-24シーズンもリーグ優勝を果たし、さらに国内カップも制覇しています。監督、選手、スタッフ全員による結果であり、タイトルをロシツキー個人の功績だけにすることは適切ではありませんが、スポーツディレクターとして監督選定や編成に関与したことは確認できます。
選手としてスパルタでリーグタイトルを獲得し、引退後はクラブを作る立場でもタイトル獲得に関わった点は、ロシツキーのキャリアの特徴です。
2025年には心臓に関する問題で入院した
2025年には健康面で大きな出来事がありました。スパルタ・プラハは、ロシツキーが心臓に関する問題で集中治療室へ入院したことを公式に発表しています。手術は必要なく、その後は自宅療養へ移りました。
クラブと本人は具体的な診断名などの詳細を公表していません。そのため、病名や症状について公開情報以上の内容を推測することは適切ではありません。
療養中はトマーシュ・シヴォクが暫定的にスポーツディレクターを務めましたが、ロシツキーは2025-26シーズン前半に段階的に職務へ復帰しました。
2026年現在もスポーツディレクターを務めている
2026年初め、スパルタは暫定スポーツディレクターという役職を終了し、ロシツキーがスポーツディレクターとして職務を行っていることを明らかにしました。2026年10月現在のクラブ組織図にも、スポーツディレクターとしてトマーシュ・ロシツキーの名前が掲載されています。
近年も選手獲得やスタッフ人事についてクラブ公式発表でコメントしており、実務に関わっていることが確認できます。したがって「ロシツキーは現在何をしているのか」という疑問への答えは、「スパルタ・プラハのスポーツディレクターとしてクラブ強化を担当している」となります。
ロシツキーを知るなら見ておきたい代表的な場面

ロシツキーの評価を数字だけで判断すると、特徴を十分につかめません。プレーのテンポや運動量を理解するには実際の試合映像が分かりやすいため、キャリアを知るうえで重要な場面を目的別に整理します。すべてを見る必要はなく、興味のある時代から確認するとよいでしょう。
代表での決定力を見るなら2006年アメリカ戦
シュート能力を確認したいなら、2006年ワールドカップのチェコ対アメリカ戦が代表例です。ペナルティーエリア外からの強烈な得点と、相手守備の背後へ抜け出して決めたゴールの両方を見ることができます。
司令塔という印象が強い選手ですが、この試合を見ると、自ら前線へ入り込んでフィニッシュする能力も持っていたことが分かります。
運動量を見るなら2012年トッテナム戦
攻守に動き続けるロシツキーらしさを見るなら、アーセナルがトッテナムを5-2で破った2012年のノースロンドンダービーが分かりやすい試合です。
単にゴールを決めただけではなく、パスを出した後の移動や前線への飛び出し、相手がボールを持った際の働きも確認できます。技巧派というイメージだけでは説明できない選手だったことが伝わります。
ボール奪取からの速さを見るなら2014年FAカップ
2014年1月のFAカップ、トッテナム戦では、ロシツキーが相手からボールを奪うと一気にゴールへ向かい、GKとの1対1から得点しました。
守備から攻撃への切り替え、走力、判断、フィニッシュまでが一つのプレーにまとまっており、ロシツキーの特徴を短時間で理解できます。華麗なパスだけでなく、自らボールを奪って攻撃を始められる点に注目です。
シュートを見るなら2014年ホワイト・ハート・レーン
2014年3月のトッテナム戦では、開始直後にペナルティーエリア外から豪快なシュートを決めました。この得点が決勝点となり、アーセナルは敵地で1-0の勝利を収めています。
ロシツキーには繊細なテクニックという印象がありますが、ボールを迷わず振り抜く大胆さもありました。アーセナル時代の代表的なゴールを一つ選ぶなら、有力な候補となる場面です。
まとめ
トマーシュロシツキーは、スパルタ・プラハで育ち、ドルトムント、アーセナル、チェコ代表で活躍した攻撃的ミッドフィールダーです。チェコ代表では105試合23得点、アーセナル公式では246試合28得点を記録し、「リトル・モーツァルト」と呼ばれる素早いパスと試合のテンポを上げるプレーで評価されました。負傷によって長期間離脱した時期もありましたが、復帰後も印象的なプレーを残しています。2017年に現役を引退し、2026年10月現在はスパルタ・プラハのスポーツディレクターです。選手時代だけでなく、引退後も古巣のチーム作りに関わっているところまで含めると、ロシツキーのキャリアをより正確に理解できます。
