久保建英昔と検索している人が知りたいのは、現在の日本代表・久保建英選手が子どもの頃にどんなチームでプレーし、なぜFCバルセロナへ渡り、その後どのように日本とスペインを行き来して現在まで成長したのかという点でしょう。久保建英選手は川崎フロンターレU-12を経て10歳でFCバルセロナの下部組織へ入り、2015年に日本へ帰国。FC東京で15歳のJリーグデビューを果たし、横浜F・マリノス、FC東京を経て2019年にレアル・マドリードへ移籍しました。この記事では、幼少期から現在までの経歴を時系列で整理し、「昔から何がすごかったのか」「なぜバルセロナを離れたのか」まで分かりやすく解説します。
久保建英の昔から現在までを30秒で確認
久保建英選手のキャリアは、幼少期の日本、FCバルセロナの育成組織、日本への帰国、Jリーグ、再びスペインという流れで見ると理解しやすくなります。特に重要なのは、バルセロナを離れたことが実力不足を理由とした通常の退団とは異なり、制度上の問題によって日本への帰国を余儀なくされた点です。
| 時期 | 主な所属・出来事 |
|---|---|
| 幼少期 | 神奈川県川崎市で育ち、川崎フロンターレU-12などでプレー |
| 2011年 | 10歳でFCバルセロナの下部組織へ加入 |
| 2015年 | 制度上の問題によりスペインを離れ、日本へ帰国 |
| 2015年 | FC東京U-15むさしへ加入 |
| 2016年 | FC東京U-18へ昇格し、15歳5か月1日でJリーグデビュー |
| 2017年 | 15歳10か月11日でJ3リーグ最年少得点を記録 |
| 2017年 | FC東京とプロ契約 |
| 2018年 | 横浜F・マリノスへ期限付き移籍 |
| 2019年 | FC東京へ復帰し、J1で主力としてプレー |
| 2019年 | レアル・マドリードへ移籍 |
| 2019年以降 | マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェなどへ期限付き移籍 |
| 2022年 | レアル・ソシエダへ完全移籍 |
| 現在 | レアル・ソシエダと日本代表でプレー |
昔から海外だけで育った選手ではない
久保建英選手というと「バルセロナ育ち」という印象が強いですが、サッカー人生のすべてをスペインで過ごしてきたわけではありません。幼少期には日本でプレーし、バルセロナから帰国した後もFC東京の育成組織とJリーグで成長しています。
つまり久保選手の経歴は、日本の育成年代、スペインの育成環境、日本のプロリーグ、スペインのトップリーグという複数の環境を経験していることが特徴です。「小さい頃からずっと海外クラブに所属していた」と理解すると実際の経歴とは少し違います。
10歳でFCバルセロナの育成組織へ入った
久保選手の昔の経歴で特に注目されるのが、わずか10歳でFCバルセロナの育成組織へ加入したことです。レアル・ソシエダの公式プロフィールでも、10歳でFCバルセロナの下部組織へ加入した経歴が紹介されています。
当時から海外の名門クラブの育成組織でプレーしたため、日本では少年時代から将来を期待される選手として知られるようになりました。ただし「バルセロナに所属していた」というだけで現在の成功が決まったわけではなく、その後の日本帰国やJリーグでの経験も重要なキャリアの一部です。
現在はレアル・ソシエダと日本代表でプレー
2022年7月、久保選手はレアル・マドリードからレアル・ソシエダへ完全移籍しました。その後クラブとの契約を延長し、2028-29シーズン終了までの契約が発表されています。
2026年9月時点でも日本代表に招集されており、所属クラブはレアル・ソシエダです。幼少期にスペインへ渡った少年が、日本への帰国とJリーグ、複数のスペインクラブを経てラ・リーガで継続してプレーするまでになった、という流れが久保選手のキャリアの大きな特徴です。
久保建英昔の幼少期は?バルセロナへ行くまで
久保建英選手の少年時代を知るうえで重要なのは、「突然バルセロナに現れた天才」ではなく、日本でサッカーを始め、育成年代で経験を積んだ後にスペインへ渡ったということです。現在のプレースタイルにつながる技術面の土台を考えるときも、日本とスペインの両方の育成環境を経験している点を押さえておく必要があります。
2001年に神奈川県川崎市で生まれた
久保建英選手は2001年6月4日生まれで、神奈川県川崎市出身です。日本サッカー協会などが公表している所属チーム歴では、川崎フロンターレU-12からFCバルセロナへ進んだ経歴が確認できます。
少年時代からボールを扱う技術に優れていたことが注目されますが、後年の選手紹介で評価されていたのは単なるドリブル技術だけではありません。FC東京時代の公式プロフィールでは、ボールコントロールやテクニックに加え、判断力も長所として挙げられていました。
川崎フロンターレU-12からスペインへ
久保選手の公式な所属歴を順番に見ると、川崎フロンターレU-12の次にFCバルセロナが記されています。日本で育成を受けた後、非常に若い年齢で世界的クラブの育成組織へ移ったということです。
現在の久保選手がスペイン語を使い、スペインサッカーへの適応力が高い背景を考えるうえでも、少年期から現地の生活やサッカー文化を経験したことは見逃せません。一方で、後に日本へ帰国したため、育成年代の途中から再び日本の環境でプレーすることになります。
FCバルセロナでは下部組織に所属
久保選手が所属していたのはFCバルセロナのトップチームではなく、育成部門です。この点は「昔バルセロナの選手だった」という表現を見る際に区別しておきたいところです。
10歳ほどの少年がリオネル・メッシらと同じトップチームでプレーしていたわけではありません。しかし世界各国から若い選手が集まるクラブの育成環境で数年間プレーした経歴そのものが、その後のキャリアを考えるうえで重要です。
少年時代から「日本のメッシ」と呼ばれることもあった
久保選手は育成年代から注目度が高く、メディアなどで「日本のメッシ」と呼ばれることがありました。FCバルセロナに所属していたことや、左足を使ったドリブル、ボールコントロールなどがリオネル・メッシを連想させるとして使われた呼称です。
ただし、これは公式な選手タイプの名称ではなく、あくまで報道などで使われた表現です。久保選手自身のキャリアを理解する場合は、メッシとの単純比較より、どの年代でどのクラブを経験したかを見る方が正確です。
なぜ久保建英はバルセロナから日本へ戻ったのか
「バルセロナで通用しなくなって日本へ帰ったのか」と疑問を持つ人もいますが、公式に説明されている帰国理由は制度上の問題です。レアル・ソシエダも久保選手の加入発表時に、制度上の問題によって2015年に日本へ帰国した経歴を説明しています。そのため、単純に実力不足による退団と考えるのは適切ではありません。
2015年に日本へ帰国した
FC東京が2019年に掲載した久保選手のプロフィールでは、FCバルセロナへの所属期間は2011年9月から2015年3月までとされています。その後、2015年5月からFC東京U-15むさしに所属しました。
つまり、スペインで数年間プレーした後、日本の中学生年代に相当する時期に環境が大きく変わっています。幼少期から一貫して同じクラブの育成システムを上がっていった選手ではなく、一度キャリアの方向転換を経験している点が重要です。
帰国は単純な「バルセロナ不合格」ではない
久保選手の帰国について、レアル・ソシエダは公式発表の中で「制度上の問題」によって日本への帰国を余儀なくされたと説明しています。したがって、「実力が足りずバルセロナをクビになった」という整理は正確ではありません。
若年選手の国際移籍にはFIFAの規則があり、FCバルセロナを巡る未成年選手の登録問題の影響を受けた経緯があります。細かな制度内容と久保選手個人の状況を混同することは避けるべきですが、少なくとも競技力だけを理由にした退団ではなかったという点は押さえておきましょう。
日本で選んだのがFC東京の育成組織だった
帰国した久保選手は、FC東京U-15むさしへ加入しました。その後FC東京U-18へ進み、年上のカテゴリーでプレーしながらトップレベルへのステップを上がっています。
この日本復帰時代は、久保選手の経歴を見るうえで非常に重要です。バルセロナ時代だけに注目されがちですが、プロ選手として公式戦に出場するところまで成長したのはFC東京在籍中でした。
- 2015年5月:FC東京U-15むさしへ加入
- 2016年4月:FC東京U-18へ昇格
- 2016年:FC東京の第2種登録選手としてJ3へ出場
- 2017年:J3で最年少得点記録を樹立
- 2017年11月:FC東京とプロ契約
この流れを見ると、スペインから日本へ戻った後も成長が止まったわけではなく、むしろ通常より早いスピードで年代別チームからプロへ進んでいったことが分かります。
FC東京時代は何がすごかった?最年少記録を時系列で解説

久保建英選手の昔を調べるなら、FC東京時代は外せません。15歳の中学生でJリーグに出場し、その後J3最年少得点を記録。16歳でプロ契約を結び、最終的にはJ1の優勝争いをするFC東京で主力としてプレーしました。「バルセロナ出身の少年」から「日本のトップリーグで結果を出すプロ選手」へ変わった時期です。
15歳5か月1日でJリーグデビュー
久保選手は2016年11月5日、FC東京U-23の選手としてAC長野パルセイロ戦に出場しました。当時15歳5か月1日で、Jリーグ史上最年少出場記録を更新しました。
試合はJ3でしたが、中学3年生の選手がプロリーグの公式戦に出場したこと自体が大きな出来事でした。FC東京の選手記録にも、この試合がJリーグ初出場として掲載されています。
15歳10か月11日でJ3最年少ゴール
2017年4月15日のセレッソ大阪U-23戦ではJリーグ初得点を記録しました。年齢は15歳10か月11日で、当時のJ3リーグ最年少得点記録です。
幼少期からテクニックで注目されていた久保選手が、育成年代だけでなくプロリーグの公式戦でも数字を残し始めたことを示す出来事でした。単に「有名な少年選手」という段階から、実戦で評価されるプロ候補へ移っていった時期と見ることができます。
16歳でFC東京とプロ契約
2017年11月、久保選手はFC東京とプロ契約を結びました。FC東京のクラブ史では、16歳4か月28日でプロ契約を結んだことがクラブ最年少記録として記載されています。
育成年代の選手でありながら、すでにJ3で豊富な出場経験を積んでいたことが特徴です。その後はトップチームで出場機会を得るための競争へ入り、キャリアの次の段階に進んでいきます。
横浜F・マリノスへの期限付き移籍も経験した
2018年8月には横浜F・マリノスへ期限付き移籍しました。この時期は「FC東京を退団してマリノスへ完全移籍した」というわけではありません。FC東京から出場機会を求めて期限付きで所属した形です。
若手選手にとって実戦経験は重要であり、久保選手も複数の環境を経験しました。2019年1月には期限付き移籍期間の終了に伴いFC東京へ復帰しています。
2019年にはFC東京の主力へ成長
FC東京へ戻った2019年は、久保選手の日本時代における大きな転機になりました。J1の試合で継続して起用され、得点も記録し、18歳になる頃にはトップチームの戦力として存在感を高めています。
ここで重要なのは、海外移籍が「バルセロナにいた有名選手だから実現した」という単純な話ではないことです。Jリーグでも実際にトップチームで出場し、結果を示したうえで再びスペインへ移ったという順序になっています。
2019年以降はレアル・マドリードから複数クラブを経験
2019年にスペインへ再挑戦してからも、久保選手のキャリアは一直線ではありませんでした。レアル・マドリード加入後すぐにトップチームの主力になったわけではなく、マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェなどへの期限付き移籍を経験しています。この期間を経て2022年にレアル・ソシエダへ完全移籍したことで、所属環境が安定していきました。
2019年夏にレアル・マドリードへ
久保選手は2019年夏にレアル・マドリードへ加入しました。FCバルセロナの育成組織でプレーした少年が、数年後にライバルクラブであるレアル・マドリードへ移籍したため、大きな注目を集めました。
ただし、この時点でレアル・マドリードのトップチーム公式戦に定着したわけではありません。加入後は期限付き移籍によってラ・リーガの複数クラブで実戦経験を積むことになります。
マジョルカでラ・リーガを経験
2019-20シーズンはRCDマジョルカへ期限付き移籍しました。レアル・マドリードの公式発表でも、2019年8月にマジョルカへの期限付き移籍が発表されています。
ここから久保選手にとって本格的なスペイン1部でのキャリアが始まります。少年時代には育成年代でスペインサッカーを経験していましたが、この時期からは成人のプロ選手が競うラ・リーガで結果を求められる立場になりました。
ビジャレアルとヘタフェでもプレー
マジョルカでの1年目を終えた後はビジャレアルへ期限付き移籍し、その後ヘタフェでもプレーしました。その後レアル・マドリードを経由して再びマジョルカへ期限付き移籍しています。
久保選手の昔の所属チームを調べているとクラブ数が多く分かりにくく感じますが、当時はレアル・マドリードに保有されながら他クラブへ貸し出されていた期間が中心です。そのため「毎年完全移籍を繰り返していた」という意味ではありません。
| クラブ | 所属形態のポイント |
|---|---|
| レアル・マドリード | 2019年に加入 |
| RCDマジョルカ | レアル・マドリードから期限付き移籍 |
| ビジャレアル | 期限付き移籍でプレー |
| ヘタフェ | 期限付き移籍でプレー |
| RCDマジョルカ | 再び期限付き移籍 |
| レアル・ソシエダ | 2022年に完全移籍 |
2022年にレアル・ソシエダへ完全移籍
2022年7月19日、レアル・マドリードとレアル・ソシエダは久保選手の完全移籍で合意しました。レアル・ソシエダ加入時には2026-27シーズンまでの契約が結ばれ、2024年2月にはさらに2028-29シーズン終了まで契約を延長しています。
期限付き移籍を繰り返していた時期と比べると、レアル・ソシエダ加入後は一つのクラブで継続的にプレーする環境を得たことが大きな違いです。現在の久保選手を理解する場合、少年時代のバルセロナだけでなく、この複数クラブでの経験も重要な過程です。
昔と現在を比べると久保建英の何が変わったのか
久保選手は少年時代から高い技術で知られていましたが、現在までまったく同じタイプの選手だったわけではありません。育成年代では技術力が特に注目され、FC東京時代にはプロの試合での判断力や得点力、スペイン移籍後にはラ・リーガの強度の中で継続的にプレーする力が求められました。経歴を年代別に整理すると成長の流れが分かります。
少年時代はテクニックへの注目が大きかった
バルセロナの育成組織に所属したこともあり、久保選手は幼い頃からボールコントロールやドリブルといった技術面で注目されました。「日本のメッシ」という呼称が広まったのも、この時期のイメージが大きく影響しています。
ただしトップレベルのプロでは、技術だけでは継続して試合に出ることはできません。年代が上がるにつれて、相手のプレッシャーへの対応、守備、判断速度、ポジショニングなど、より幅広い能力が必要になります。
FC東京で「プロ相手に通用するか」を問われた
FC東京時代になると、評価基準は育成年代での将来性から公式戦での結果へ変わります。15歳でJリーグに出場したこと自体は大きな記録ですが、その後もトップチームへ定着するには競争がありました。
横浜F・マリノスへの期限付き移籍も含め、試合に出る環境を求めながら成長し、2019年にはJ1で存在感を示す選手となりました。この時期を見ると、幼少期の肩書きだけでプロになったのではなく、段階を踏んで出場機会を増やしたことが分かります。
スペイン復帰後は複数クラブへの適応を経験した
レアル・マドリード加入後は所属先が頻繁に変わりました。チームが変われば監督、戦術、ポジション、周囲の選手も変化するため、毎シーズン同じ条件でプレーできるわけではありません。
その経験を経てレアル・ソシエダへ完全移籍し、継続してプレーする環境を得たことが現在につながっています。少年時代の「将来有望な選手」から、スペイン1部で実績を積む日本代表選手へと立場が変化したと整理できます。
「昔から天才だった」だけでは説明できないキャリア
久保選手の経歴には、10歳でバルセロナ加入、15歳でJリーグデビューといった目立つ記録があります。そのため「昔から天才で順調に成功した」という印象を持ちやすい選手です。
しかし実際には、バルセロナからの帰国、FC東京での年代を超えた競争、横浜F・マリノスへの期限付き移籍、レアル・マドリード加入後の複数回の期限付き移籍など、大きな環境変化を経験しています。結果だけでなく、その間の所属クラブの変化まで見ると現在に至る過程がより理解しやすくなります。
久保建英の昔についてよくある疑問

久保選手の過去については、「本当にバルセロナにいたのか」「なぜ退団したのか」「レアル・マドリードでは試合に出たのか」など、経歴を一部だけ見ると誤解しやすいポイントがあります。ここでは検索されやすい疑問を、確認できる公式な経歴をもとに整理します。
久保建英は本当にバルセロナにいた?
はい。FCバルセロナの育成組織に所属していました。レアル・ソシエダ公式は10歳でFCバルセロナの下部組織へ入ったと紹介しており、FC東京のプロフィールでは2011年9月から2015年3月までFCバルセロナに所属した経歴が記載されています。
ただし所属していたのはトップチームではなく育成年代です。「元バルセロナ選手」という表現だけを見るとトップチーム所属と誤解する可能性があるため、正確には「FCバルセロナの下部組織に所属していた」と理解するのが適切です。
久保建英はバルセロナをクビになった?
単純に実力不足で契約を打ち切られたという説明は適切ではありません。レアル・ソシエダは公式プロフィールで、制度上の問題によって2015年に日本へ戻ることになったと説明しています。
したがって久保選手の帰国を「バルセロナで通用しなかったため」と断定するのは避けるべきです。その後FC東京でプロとなり、さらにスペインへ戻ったというキャリアまで含めて見る必要があります。
久保建英は昔から左利きだった?
久保選手は左足を生かしたプレーで知られ、プロ入り後も右サイドなどから左足を使うプレーが特徴の一つとなっています。ただし選手の成長を「左利きだから成功した」と考えるのは単純化しすぎです。
プロ入り当時のFC東京公式プロフィールでも、突出したボールコントロールやテクニックだけでなく判断力が評価されていました。利き足だけではなく、ボールを受ける位置や判断、周囲との連係などを含めて見るとプレースタイルを理解しやすくなります。
レアル・マドリードではトップチームの主力だった?
レアル・マドリードに所属していましたが、同クラブのトップチームで公式戦の主力として長期間プレーしたわけではありません。加入後はマジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェなどへの期限付き移籍を経験しました。
そのため所属歴を見る場合は「レアル・マドリードに在籍したこと」と「レアル・マドリードのトップチームで公式戦に定着したこと」を分けて考える必要があります。2022年にはレアル・ソシエダへ完全移籍しています。
久保建英は今何歳でどこに所属している?
久保選手は2001年6月4日生まれです。2026年9月時点で25歳で、スペインのレアル・ソシエダに所属しています。日本代表にも招集されており、2026年9月の代表メンバーにもレアル・ソシエダ所属として名前が掲載されています。
少年時代から注目されてきたため長いキャリアを持つ印象がありますが、まだ20代半ばです。15歳でJリーグに出場しているため、年齢に対してプロレベルでの経験年数が長い選手といえます。
まとめ
久保建英選手の昔を時系列で見ると、川崎フロンターレU-12など日本の育成年代を経て、10歳でFCバルセロナの下部組織へ加入し、2015年に制度上の問題で日本へ帰国したことが大きな転機でした。その後FC東京で15歳5か月1日のJリーグデビュー、15歳10か月11日のJ3最年少得点を記録し、横浜F・マリノスへの期限付き移籍を経て2019年にレアル・マドリードへ移籍しています。マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェなど複数クラブで経験を積み、2022年からレアル・ソシエダでプレーしています。「昔から天才だった」という一言だけでなく、日本帰国や複数回の移籍を含めた成長過程を見ると、現在までのキャリアがより分かりやすくなります。

